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イテこます!ブログ雑記帳

2025.03.15 Sat 「 [PR]
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2008.10.25 Sat 「 地球に優しいの欺瞞雑談
 エコがブームの中で、よく使われる「地球に優しい」という言葉。地球に対して上目線でとても嫌い。もうひとつよく使われる「地球を守れ(save the earth)」はもっと上目線でとっても嫌い。

私含め、地球に生かされている。こういう言葉の出る感覚の裏にはその生かされているという意識が薄すぎるような気がする。だからこんなおこがましい言葉になる。自分の所有物だと思ってる。その前に地球に対する感謝の気持ち大事。そうすれば自ずと地球に優しい行動になると思うのだが。




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2008.10.24 Fri 「 例えばこういう事雑談
 A男はB子にお金を貸した。だが、このB子はなかなかに素行が悪い。貸してはみたもののもしかすると返してくれなくなるかもしれない。

そこに共通の友人C男が現れる。彼は双方の事を良く知っており、B子がそこまで悪い訳じゃない事もしっていた。そこでA男に持ちかける。「何だったら、もしB子がお金返さなくなったら俺が肩代わりしてやるよ?その代わり毎月ちょっとだけお小遣いが欲しいなぁ。」

A男はこの提案に喜んだ。「そりゃ良いなぁ。じゃあ、毎月お小遣いあげるよ。」

C男はこんな約束を他にも10件していた。C男はよく知っている人間だけを見てこの約束をしていたが、やっぱり手元にお金がないと、もしもの時に心許無い。

そこでC男はお金を集めることにした。「どうせ毎月10人から小遣いが貰える。これを金利の返却に使えば良い」

C男は言う。「俺は毎月定期的にお小遣いを貰えるんだ。だからこれだけの金利でお金を貸してくれよ」(この金利に回す金はお小遣いより少ない)

D社やE社など3社はC男が定期的にお金を貰える事を信用してお金を貸した。

さて、B子がお金を返さなくなった時、どれだけの影響が出るだろうか?

例えばこんな話が世界中で起きている。





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2008.10.23 Thu 「 自分の仕事が終われば他の人を手伝えの非効率‏雑談

前々から少なからず感じていた事を簡単なモデルを元に考えてみた。

通常100の仕事を100分で終える人間Aと、100の仕事を50分で終える人間B。それぞれが自分の仕事のみを行い、それが終了するまでは解散出来ないと仮定して、全ての仕事が終わるのは当然のことながらAが仕事を終える100分後。では、Bが自分の仕事を終えるとAの仕事を手伝うように動くと仮定する。すると50分後、BはAのヘルプに回る。その時点でAに残っている仕事は50。ここからは2人で1分当たり3の仕事を終えることが出来るため、50÷3=約17分。全体としては約67分で仕事を終える計算になる。が、これは単純計算の話。

①全ての仕事が終わるまで解散できない。
②自分の仕事が終われば他の仕事を手伝わなければならない。

このの2つの前提がある時、恐らくBは最大限の能率で仕事をする事はない。効率よく仕事をする事はイコール与えられたもの以上の仕事をしなければならない事を意味するからだ。②の前提のみがない場合、Bは通常の能率で仕事を行い、残った時間を別に使うだろう。そして①、②両方の前提が無い場合、恐らくBは50分以下で仕事を終えることが出来るだろう。仕事からの解放という事実がその先にあるから。

仮に①、②が前提としてある場合に能率が2割低下し、①、②が前提として無い場合能率が2割向上すると仮定すると

①、②が前提としてある場合
BがAを助けにいくのが62.5分後。その時Aに残っている仕事量は50。
それを2割低下の2名の能率毎分2.4では終わるのが20.8分後。合計では83.3分。

①、②が前提として無い場合
Aの2割向上した能率毎分1.2で100の仕事を終わるのが83.3分後。
しかしBは41.7分後に仕事は終了している。

全体の効率を考えた場合、わずか2割の能率低下で①、②の指示は意味をなさず、且つBは本来得られるべき余裕時間を失う事になる。それ以上の能率低下が発生した場合、この指示はすること自体が能率低下を招く。上記前提では①、②の指示はしてもしなくても能率は同じで、②を指示しない場合が一番効率が悪い計算になる。(①のみが無い仮定は、②が成立しないので省く)。終われば他を手伝わせる方法は効率が上がるように見えて、実はそれ程の効果をもたらさない。

仮に人数を3人にしてみる。3人目のCは100の仕事を75分で終了する事が出来ると仮定する。

①、②が前提としてありBはCを手伝いその後Cと共にAを手伝う場合。
Bが仕事を終えるのは能率2割低下で62.5分後。そこでCのヘルプへ。
Cの仕事残は100-(62.5×1.066)=33.375 これをB、C2名で終えるのが12.5分。
そこで2名はAへ。
Aの仕事残は100-(75×0.8)=40 これを3名で終えるのが11.5分
合計86.5分

①、②が前提としてありBはAを手伝いその後Aと共にCを手伝う場合。
(仕事量と効率は一定のため、順番の違いは時間に変化を与えないはずだが念のため)
Bが仕事を終えるのは能率2割低下で62.5分後。そこでAのヘルプへ。
Aの仕事残は100-(62.5×0.8)=50 これをA、B2名で終えるのが20.8分後
そこで2名はCへ。
Cの仕事残は100-(83.3×1.066)=11.2 これを3名で終えるのが3.23分後
合計86.5分

①、②なし
Aが2割向上の能率で仕事を終える83.3分後(Bは41.7分後、Cは62.5分後に終了)

②が無い場合
Aが仕事を終える100分後

前提を変えずに人数を変えるだけで、もう指示すること自体が効率の悪化を招いている。

ではどうすれば、全体効率を上げることが出来るのだろうか。ここまでで考えられる答えは主に2通り。

(1)振り分ける仕事量そのものを調節する。
(2)最大能率で仕事を終えた場合に出来た余裕に対してインセンティブを与える。

そもそも能率の違う人間に同じ分量の仕事をさせる前提自体に問題があるという考え方。これはしごくもっともな話であるが、振り分けにはより多く仕事を振り分けられたものが持つ不満に対処する能力と、全体を把握し的確に仕事を配分する技量が管理者に求められる。

例えば上記場合、Aの仕事量を75、Bの仕事量を150に調節すると、2人でも3人でも全体としては75分で仕事は終わる。ちなみにこの場合、全員が同時に仕事を終えるため①および②の前提が無いに等しい状態になるので、能率が一律2割向上すると考えると62.5分で仕事は終わる。完全に振り分けられる自信があれば、①及び②は無いものとして仕事を進めれば良い。

一方能率の良い人間が生み出した余裕にアメを与えるというやり方。いかにも資本主義的なやり方ではあるが、これは最も適切な感じがするし、一番簡単且つ効率的にも思える。問題になってくるのはそれに必要なコスト。

Bが仕事を終えるのは能率2割向上で41.6分後。そこでCのヘルプへ。
Cの仕事残は100-(41.6×1.6)=33.44 これをB、C2名で終えるのが8.36分。
そこで2名はAへ。
Aの仕事残は100-(49.96×1.2)=40 これを3名で終えるのが7.69分
合計57.65分

仮に2割向上ではなく一律1割の能率向上だとしても
Bが仕事を終えるのは能率1割向上で45.45分後。そこでCのヘルプへ。
Cの仕事残は100-(45.45×1.466)=33.37 これをB、C2名で終えるのが9.1分。
そこで2名はAへ。
Aの仕事残は100-(54.55×1.1)=40 これを3名で終えるのが8.39分
合計62.94分

X:全体最適を考えた場合、コストを掛けられるのであれば、アメを与えるやり方は一番効率的に仕事を終えることが出来る。
Y:一方コストを掛けられない場合は、能力に応じて仕事量に変化を与える事で、終了時点を早める事は可能。ただその振り分けにも人的コストは必要になってくる訳だが・・・。
Z:そこそこのスピードで良ければ、各人に振り分けられた仕事のみをさせる事で、それなりに効率的に動かす事が可能になる。ここに能力に厳格に応じた振り分けの変化ではなく、ある程度の緩やかな変化を与える事でその効率は増すだろう。
例えばAの仕事のうち10をBに振り向けると2割の能率向上時で全体75分で終了となる。(Bは45.8分、Cは62.5分で終了)

下手な指示は非効率を招くということか・・・。世の中金だね。ただこれは前提として、どういう動きをするか始めにいうというが前提としてある。逆に言えば、他を手伝えというのを最後まで隠しておくという方法も無いではない。能率的に終わった人間から言っていく。ズルイやり方だが。
 



 

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2008.10.21 Tue 「 合成の誤謬?・・・移民の受け入れ雑談
日本経団連は少子高齢化に伴う人口減少対策として、定住移民の受け入れを提言する。労働力不足や内需の縮小などが、日本の経済社会を不安定にする恐れがあると判断して「期間を限定した外国人労働者の受け入れ」という従来の方針を転換、14日に発表する。だが、移民については労働条件の悪化や治安の悪化につながるとの反発も強く、提言が論議を呼ぶのは必至だ。
(出処:ヤフーニュース・毎日新聞)

というニュースが先日流れた。経団連の言うこと、当然大企業等々の意見の集約で出てきた話であろうが・・・。個々の企業にとっては、これは正しい意図かもしれない。しかし、それが日本経済に対して、日本人そのものに対してマクロ的にポジティヴな結論へ繋がるのかというと果たしてそうとも言えない気がする。待っているのは日本人にとって必ずしもバラ色の未来では決してないはず。

でもあえて言うならば、移民の受け入れは日本にとって不可避であるように思う。誰もが学生時代に見た人口ピラミッドから考えれてみれば一目瞭然。放っておけば日本という国が無くなる。もう既にブラジルの日系人はかなりの人数入ってきている(3世?までだろうからそろそろ減ってきているかもしれないが)。それにしても移民受け入れは様々なデリケートな問題を孕む。欧米の状況を見ていれば無用な軋轢が生まれるのは明らか。

色んな対立、議論を飲み込みつつ、それでもこの問題は是として動いていくに違いない。日本企業が残り、日本という国の形が残り、そして日本人という人種が消える。そう遠くない未来、この決断は迫られる。その時、国の舵取りは勿論、国家の存続。今の日本人から見て、100年後の日本は既に似て非なるものである可能性が高い。でもそれも時代の流れ。今の我々も大昔、大陸から渡ってきた縄文人と弥生人の混血。「右」に寄って「日本とは」とか考えてみたくもなるが、客観的にみて、もうこの方向で後戻りできない状況にあるように思う。

それとも中国の逆にして「3人っこ政策」でもしてみる?





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2008.10.17 Fri 「 空気が読めないということ雑談
KYとも揶揄される空気が読めない人達、これは単に状況を弁えず振舞うというだけではないように思う。勿論、笑ってはいけないとことで笑ったりだとか、相手の発言に対して変なところで合いの手入れたりだとか、ボケに対して見当違いのツッコミを入れたりだとか、そういうのは絶対的に空気が読めない人。

でも例えばこういう話。長い間咳ばかりしている人、この人に対して「医者に行った方が良いですよ」と何度か声を掛ける。「いや、大丈夫です」との答えが毎度返ってくる。2週間していよいよ咳がひどくなり、「やっぱり変です、医者に行って下さい。体を大事にしてください」と声を掛ける。すると「いや大丈夫。心配してくれてありがとう」なんて返答。一見ありきたりかもしれない場面だが、空気が読める人は遅くともここで「あぁ、この咳は周りに迷惑を掛けているのだな」と気付く。そもそも敏感な人はその前に何度か同じ人から医者へ行けと言われれば迷惑してるの意味だと感じることができる。だが、空気が読めない人は「この人はそんなに私の事を心配してくれてるんだな」で終わる。人が良いだけに余計に対処がしづらい。

勿論言ってる側も心配して声を掛けてはいる。しかし、そこには咳が煩い、だとか、変な病気に罹ってるんじゃ・・、だとか自らに対する何らかの不利益への不安という側面も少なからずあるだろう。他者に対する無私の愛というのはそうは存在しない。

空気とは、言外にある様々なものを指す。それは相手の話を聞き、そこにある言葉の外にあるものを感じる事で初めて読めてくる。空気が読めない人はこの能力に乏しい、若しくは初めから相手の話を聞く能力が無いに等しい。だから空気が読めない人はそもそも自分の空気が読めない事で周りの空気に何らかの違和感を与えている事それ自体すら感じる事は出来ない。ゆえに指摘されても理解が出来ない。結局空気は読めないまま。ある意味とても幸せで、ある意味とても不幸な人達。






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