[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
トマトは赤いというのは正しい。これは誰しもが認識している事であるが、トマトを見て感じる色が人類全てにとって同じ色であるというのは誰が確認したのだろうか・・・。何故トマトの出す色が「赤」かと言えば、人は後天的にこの色は「赤」だと教えられたから。全ての人にとって、色の知覚が先で、そこに名前が後で付く。
色とは物体表面における光の反射具合によって分かれるもの。一部の波長のみ吸収するから他の色が混ざって色が出来、全反射すれば「白」、全吸収すれば「黒」という訳。光が無ければ色は知覚できないのだから、よく考えてみれば分かる。絵の具にしろ何にしろ、その波長の光以外を反射しない物質であるというだけで、それそのものに色が付いているというのとはちょっと違う気がする。
話がちょっと反れたが、例えばA氏とB氏の二人がいて、これらの人が生まれて初めてみたトマトの色を、色の名前を教えられる前に最初に知覚したレベルで比較することは到底出来ない。だがもし比較することが出来たとしたならば、それは必ずしも一致しないのではないかという気がする。
色とは光だ。目にその光が入ってきて、網膜で感知し脳でそれを識別する。あくまで脳の中での話に過ぎない。言ってしまえば脳の匙加減ひとつ。個々の人間すべてにとってこれが全て共通しているはずがあるだろうか・・・。例えば、他人との間で色の認識に齟齬が生じたことはないだろうか?例えば、街中で「これはちょっと・・・」という配色で服をコーディネートしている人を見かけた事はないだろうか?
知覚し脳で識別した時点では、ある人にとって「赤」と認識している色が、ある人にとっては「ピンク」である可能性は否定出来ない。何故ならその色に付いた名前は後で教えられたもので、人はそれで色の違いの認識しているだけなのだから。見えているものが言葉という記号に置き換えられた瞬間、それは脳の中では情報として整理されているのかもしれないけれど、何故か感覚的なものを置き去りにしてしまっている気がする・・・。
あなたにとって今見えているトマトの色という知覚は、他の人にとってみれば林家ぺーの服の色の知覚とイコールかもしれない。だがそれはあなたにとっては「ピンク」という知覚であったのかもしれないけれど、お互いにその色は赤であるという認識しかないので、このギャップを埋める時は永遠に来ないし、その認識の違いを埋める術もない。これは色に限ったことではないのだろうけれど、そうして考えると人間の知覚ってちょっと面白い。
「コンビニ店長のためのPOP駆け込み寺」
http://itecommerce.nakamauchi.com